
さて現在の未婚率の上昇や少子高齢化を、男性自身の努力不足や態度に原因があると決めつけて男性を中傷しているチン騎士を見かけた為、この男の主張のおかしなところを少し述べてみよう。
まず最初に森泉は、『なんか思うのだけど「男性の生きづらさ」が語られるとき「(努力もアップデートもする気はないけど)自分はモテない/愛されない」という枠を出ないことが多々あって、「女性の生きづらさ」が問題提起する制度や慣習、権力の問題とは遠い話をしている印象がある。』と言うのであるが、自分はモテない、愛されないという男性の苦しみが個人の努力やアップデートへの怠慢に起因するものであり、人間の基本的な必要に反する不自然で異常な社会制度や政策の問題ではないという根拠は一体何であろうか?
さらに森泉は『「努力もアップデートもする気はない」という態度そのものが男性優位の「制度」の問題として逆に男性自身の足かせになっているのだけど、それには気づかない。』として、男性優位の制度の為に努力もアップデートもする態度が起こらず、足かせになっているのだという。
しかし、もし男性優位の制度が存在しているのであれば、一体なぜ努力やアップデートが必要とされ、それをしない事が足かせになるのだろうか?現状が男性優位の制度であるなら、努力やアップデートは必要ではなく、そうしない事は足かせにもならないのではないだろうか?
森泉は『制度のおかげで下駄を履いているのでそれは失いたくない。しかしそれを履いているかぎり愛は手に入らない。』のだという。
しかし下駄をはいているなら、下駄をはいてる男性は優位な立場にあるのだから、社会的、経済的立場の低い女性と交際する事は比較的容易なはずであり、実際、『ジェンダー平等政策が強く推進される1990年代以前では、人口の9割前後が結婚している』。
彼の主張する、努力やアップデートとやらが必要とされるようになったのは明らかに、1990年代以降に強く推進された不同意性交罪、児童買春、ポルノ禁止法、青少年条例淫行規定等のジェンダー平等政策の結果として、それまで歴史上ほとんどすべての時代に存在していた自然的な男性優位の力関係の均衡が崩れたからです。
全体的に森泉の主張は、矛盾しており、やや意味不明な主張であるが、一つ言える事はこの森泉と言う男が、『現在の未婚率や交際未経験率の増加とそれに伴う男性の苦しみは、男性の側の努力やアップデートが不足している事が原因であり、しかもそれが男性優位の制度のせいで生じている』という事にしたがっているという事であるが、彼の主張する努力やアップデートを多くの人間がしないか出来ないのは、『それが人間の自然で正常な欲求や生物学的な本能に反しており、その様な方法で生きる事は正常な人間にとって著しい苦痛や不利益が生じるから』であり、現在多くの男性や女性が結婚も交際も出来なくなっているのは、自然的な男性優位の制度を崩壊させ、生物学的な性差とそれに基づく男女の役割分担の必要を無視した不自然で異常なジェンダー平等政策の結果であり、男性優位の制度によって生じる努力やアップデートの不足に原因や責任がある訳ではありません。
この男の支離滅裂な主張が示す事は、彼が女に都合のいい不合理な妄想でその他の(比較的若い)男性を中傷する事で、注目を集め、自分自身の立場や影響力を高める事で経済的な利益や女性からの好意を獲得し、自らの生殖成功率を高めようとしている『非常に欺瞞的で卑劣な人間性の持ち主』である事だけである。
このようなチン騎士が現れる主な理由として挙げられるのは、ジェンダー平等政策の有無にかかわらず、女性は男性に比べて性欲が弱く、性行為に伴うコストが大きい傾向があるため、男女間で需要と供給の不均衡が生じる傾向があるという事です。このような不均衡が存在する環境では、同性同士で協力するよりも、他の同性を中傷して評価を下げる方が、自分自身が異性の好意を得て生殖行動を成功させる上で有利に働く可能性があります。
当然ながら、このような行動は長期的には社会や経済に深刻な悪影響を及ぼし、彼ら自身の子孫の生存率をも低下させてしまいますが、頭の悪いチン騎士たちは自分達の行動がもたらす長期的な負の影響を過小評価し、自分自身の短期的な利益を優先してしまいます。